こんばんは。
今回は違う入り方にしてみましょうか。誇れる自分。
誰しもが未来の自分の姿を想像し、目標に向かって努力します。
しかしながら、必ずと言っていいほど怠ける、だらけるという気持ちが出てきてしまうのが正直な話です。
私自身色んなことに取り組もうとしては、怠けてしまってやらないことがほとんどで、結局やめてしまうことがほとんどです。
しかしながら、最近は割と新しく取り組んだものでも継続して取り組めているような気がします。
じゃあ一体どうしてなのか。そう考えた時にある答えが頭に思い浮かびました。
「他の人に、パートナーに、そして自分自身に誇れるような自分でいたいから」と。
なかなか誇れる自分になるというのはとても大変で苦しい事だと思います。
なぜなら、自分自身を誇れるようになるためには、明確に分かるような形が指標になるからです。
大会で優勝する、資格や受験に合格する、テストで満点を取る、ジムに1年通う、10キロ体重を落とす。
具体的に話すことができるものには、確実にそれを達成するための背景がはっきりとわかり、積み重なるものがあります。
そう、言うだけではどうにもできない問題なのです。
ましてや目標に向けて続けていくというのはとても大変です。
けれど逆に言ってしまえば、明確だからこそ自分自身を認めやすくなるのではないでしょうか?
今までのぜひ振り返ってみてください。
皆さんに問いかけます。
今まで生きてきた自分自身は、自分にとって誇れるものですか?
誇れるならそれは今をとても大切に生きている証だと思います。
しかしながら、少しでも誇れないとそう思うのであればそれはどこか甘えている自分がいるということです。
心から誇れるというのは、本心で動けていることができていると私ま思います。
反対に誇れないということは、やはり自分の中で”本当は頑張った方がいいのかもしれないけど今日はいいや”とか”行かないといけないんだけど今日くらいいいだろう”と罪悪感がありながらもしているという証拠になってしまうのだと思うわけです。
そんな罪悪感を私はないがしろにはしたくありません。
よく巷で言われるのが「とりあえずやれ」という言葉がありますよね。
あれは今回の話とは少しずれていることかもしれませんが、私なりの解釈で言いますと、人間やる前に多くの時間があるとどうしても心が落ち着いてしまうが為に、怠惰な方向や感情に目を向けてしまうのではないかと思うのです。
それなら何かあったとしても今やっておいた方が、のちのちそのことについて悩まなくてもよいということになります。
少し話が脱線してしまいましたが、つまり私が言いたかったことは、
少しでも罪悪感があるのであれば、それはした方がいい。そうすることで誇れる自分になることが、自分自身に繋がる
ということです。
誇れる自分というのは何度も言いますが難しいことです。
しかし、もしそれが達成できた際に家族や友人から「めっちゃすごいな」と言われたら嬉しくないですか?
それが仮に自分のためだったとしても、すごいものにはすごいと思うのが人間です。
そして無意識的にでも褒められたい、褒められたらうれしいと思ってしまうのも人間です。
もし誇れる自分になるのがすごくしんどいんだと思うなら、自慢してみてください。
そうすることでもっとやる気になると思いますし、もっと頑張らないとと思えると私は願っています。